2003年第21回三浦国際市民マラソンが3月2日に行われ、我が三浦海岸S.L.S.C.は初の救護ボランティアとして参加した。幸い大きな事故もなく、予定外だった他団体の補助にも積極的に参加。「さすが三浦のライフガード」という印象を見せた一日だった。

和田(左)、高山副監視長(中)らメンバーに指示を送る川合監視長
《予定外の補助も》
 前夜の暴風雨から一転、晴天に恵まれたマラソン日和。1万人近いランナーと同様、救護スタッフとしての三浦メンバーはリラックスムードの中に緊張感を漂わせていた。

 正式に救護ボランティアでの参加が決まったのは2月初旬。“白川さん”でおなじみの白川誠一・三浦海岸海水浴場運営委員からの要請のものだった。以来CPR(心肺蘇生法)、心疾患等の応急処置の確認、準備を1ヶ月間行った。共に救護スタッフに当たるSURF90との打ち合わせにも出席し、自衛官、看護士らを抱える同クラブの応急処置法を見て回った。川合卓也監視長は「三浦でのイベントだけに、僕らのやっている姿を見せていかないと」と気持ちが高まったという。

(上)蘇生器が使用されるも、大事には至らなかった。写真は蘇生器を片づける2年目(石川・二階堂・小熊)(下)のぼりを取り付ける直島副監視長

 大会当日は、ハーフ(21.0975キロメートル)折り返し地点での救護に当たった。折り返し地点だったためか、一時蘇生器の出動する場面もあったが、幸い3名の軽症者が出るにとどまった。その分この日は他団体の補助に回ることが多かった。レース前の空き時間、本来ならば救護車で待機のところ、車窓から数十本もの“のぼり”を立てる団体を見かけた川合と直島浩樹副監視長がメンバーに呼びかけ、城ヶ島観光協会の手伝いを行った。また数千人が殺到する給水所での水汲み、紙コップの処理など、城ヶ島区民ボランティアのサポートに回った。蘇生器での呼吸補助を施した患者も無事回復、事なきを得た。

 終了後、川合は「ボランティアで出てやっぱりよかった。参加者や地域の方全員にわかってもらってるかは分からないが、直接関わった方々には伝わったと思う。CPRなど勉強したことを含めて、こういったことを積み重ねて夏につなげたい。」と締めくくった。


 例年、三浦マラソンには監視長と数名足らずでのレース参加で“地域貢献”とは程遠いものだった。しかし今回は13名での参加。揃いの赤ジャケットをまとったボランティアは救護に補助にと大活躍した。昨年のポスター制作、今回の救護ボランティア、そして夏に向けて動き出している新プロジェクト。三浦に“なくてはならない”存在になる日も、そう遠くはない。

 

 

(上)笑顔の裏に闘志を燃やす速水(下)ジャージーに縫いつけられた“一救入魂”の文字

■ジャージーに“一救入魂”速水航

 夏に向けて、ひそかに闘志を燃やす男がいる。3年目主任・速水航(はやみず・こう)だ。連絡網の行き違いでユニフォームの赤ジャケットを忘れたが、代わりに身につけた学校クラブのジャージー背部に刺しゅうされた“一救入魂”に、夏への意気込みを感じさせている。「学校クラブの意向で何か言葉を入れなければならない時に、野球とかの“一球入魂”が浮かんできた。“球”を“救”に変えればライフセービングにもつながる。『1回1回の救助に魂を込める』という意味が、この言葉に込められているんです」と経緯を語った。

 速水は三浦での活動を「救命士を目指す中での一環」と位置づけている。救命士を志したのは友人の死がきっかけだった。小学5年時、当時仲の良かった友人を不慮の事故で失った。自宅であるマンションの10階から飼っていたインコが逃げるのを捕まえようとして誤って転落、死亡したのだ。葬式で泣き崩れる両親の姿に「命のはかなさ」を感じたという。その時「自分に何かできることはないか」という思いが募った。速水は考えた。そして、「命を助ける仕事がしたい」という思いが浮かんだ。

 それから数年後、高校2年時に自宅近所にある国士舘大学体育学部に「スポーツ医科学科」が新設されるのを知り、迷わず進学を決めた。なぜ医者を目指さなかったのかの問いに「経済的にも負担が掛かるし、学力もないですから」と苦笑する。進学後、「ボランティアにも興味があったし、海の知識もつけられれば」とライフセービング部に入部。さらに入部後に行われる合同スプリングキャンプで「たくやさん(川合)と救助訓練を組んだのがきっかけで、色々熱い思いを聞かされ、俺も熱くなりたいと思った」のが三浦への志望動機だ。1年目では同期8人中、最も早くチューブテスト合格、2年目には練習長を務めるという“出世コース”を歩んでいた。

 しかし、3年目に差しかかるにあたって、速水は三浦を続けるかどうか迷ったという。救命士になるための公務員試験と国家試験のためだ。だが、昨年末に開かれたミーティングで「仲間がいて、みんなそれぞれ辛いところもあるじゃないか。励まし合いながら頑張っていきたい」と踏みとどまった。速水は、浜に立ち続けることを決意した。

 今年度は主任。「試験勉強のため、来年はそんなに多く出られない。だから今年が最後という気持ちです。ありきたりですが先輩のサポート、後輩の面倒を見て無事故に貢献したい」と抱負を語る。確かにありきたりだが、速水の言葉からは説得力を感じた。“一救入魂”速水航の夏は、今年も熱い。

“御大”白川さん。今回もありがとうございました!

■白川氏の厚意で宿泊
 大会前日にコースを下見した後、メンバーは宿泊。早朝からのボランティアに配慮して、“白川さん”こと白川誠一さんがご厚意で民宿を用意してくださった。白川さんは元漁師、数十年来三浦の海を見つめている。

 現役に向けてのコメントを求めたところ「適当に書いてくれ」と照れた様子だったが、現役の活動ぶりに目を細めていた。

 また前夜の宿舎では心疾患、骨折、捻挫等の処置について再確認の勉強会が行われた。三角巾での処置に直島副監視長は「まかせてくれ」と頼もしく語ってくれた。



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