北田尚輝 全日本選手権男子ビーチフラッグス優勝記念インタビュー(1)−2
――すごい…。 「これが最近で最も多いですね。(笑)ピンクラッシュの方たちはオーシャン競技ですが」 ――話を戻しますと大会前2週間は殆ど毎日浜にいた感じですか? 「あまり海に行きすぎてしまっても交通費がかかり過ぎてしまうので多くても2日に1回とかですね」 ――2日に1回でもすごい交通費ですね!!(本人所在地東京都武蔵村山市〜片瀬西浜/往復約2000円) 「多くてですからね。(笑)週3回くらいですね。好きでやっているので」 ■やりがいを見つけにビーフラへ ――いやあ、1年目当時の写真(下記)を見ていたのですが、北田君、とても2年後に全日本チャンピオンになるオーラ無かったですよ(苦笑) 「いやーこれは。(笑笑) 完全に無の境地ですね」 ――この時は、毎日のことが精一杯だったのでは?? 「正直、一言で言うと「地獄」でしたね(笑笑)」 ――地獄!!!!! 「ですね(笑)。自分の今までの人生が甘かったのかもしれないのですが、毎日怒られてるような日々で辛かったです(笑)」 ――北田君に最初お会いしたのは8月31日(監視期間最終日)だったのですが、どこか窮屈そうな印象を受けました…。 「間違いなかったと思います(笑)」 ――1年目オフから2年になって神奈川県選手権、種目別を経て、インカレ3位になるわけですが、そこまでの足跡をお聞かせください。 「1年目のオフでライフにやりがいと居場所を見つけたいと思い、もともと運動、特に走ることが好きだったので、ビーチフラッグスでもっと速くなれればと思って海練の後などに練習をしていました。そしたら2年の夏が終わった後のインカレで運良く努力が報われ3位を取ることができました」 ――やりがいと居場所づくりとしてビーチフラッグスに…そこに繋がるのですか!!「海練の後などに練習」とは1人で?? 「1人がほとんどですね」 ――三浦の海練でも? 「そうです」 ――ビーチでは、毎週? 「いいえ、毎週ではなかったと思います」 ――2年時の神奈川県選手権(4月)、種目別選手権(6月)は? 「神奈川選手権は準決勝敗退(予選→準決勝→決勝の中での)です。種目別選手権は出場していません」 ――この頃は何か手ごたえ掴んでました? 「なんとなく速くなってきたとは思っていましたが、ビーチフラッグスに慣れたかなあというくらいでしたね」 ――ほお…これが4月だったんですよね。ところで、種目別に出なかった理由は? 「当時の理由としては大学の授業と重なっていたからということと、会場が富山県と遠過ぎたことです(笑)」 ――遠い!!まだここでは競技への優先度は高くなかったんですね。 「そうですね。競技志向はそんなに高くなかったですね」 ――そこから9月に3位は凄いですね…。普通だとそこまで成長カーブは考えにくいものですが、ご自身ではこの間に何か特別なものがあったのでしょうか? 「自分でも驚くほど何もなかったです(笑)」 ――うそっ、すごい。。夏終わって9月の練習でも特別なことはしなかったと…。 「そうですね(笑)。インカレのセレクションで杏林で1位になったときくらいから少し速くなったのかなみたいな感じはありました」 <次ページ> 「2年インカレ3位、全日本4位」 |