3月9日始まった2003年の海練習(=海練)。この練習で目を引いたのは二階堂岳史、石川瑞季という両2年目の動きだった。昨夏、初のガードを経験し2年目の夏を迎える2人。彼らがどういう経緯でライフセービング、そして三浦を選んだのか、またどんな思いで携わっているのかを、それぞれ聞いてみた。

■看護師の母と「バックドラフト」

  ウォーミングアップの際、屈伸運動を「これ、何ていうんでしょうねえ」とおどけて見せるものの、二階堂岳史はフィジカルトレーニングなどのメニューを立て、率先してメンバーを盛り立てていた。その姿からは頼もしささえ感じさせる。川合監視長も「真面目にやってくれている」と信頼を寄せている。  

「看護士のお袋や“バックドラフト”の消防士みたいに、命に携わる仕事がしたかった」

 国士舘大学体育学部でも3年目・速水航と同じく(三浦マラソンページ参照)スポーツ医科学を専攻する二階堂。彼が救命の道に進んだのは家族、そして映画との関わりが大きい。もともと病弱だったこともあり看護師だった母親の背中を見て育ち、映画「バックドラフト」で登場する消防士に心奪われた。「母親や映画に出てくる消防士たちのように、人と人とが関わる中で命に携わる仕事がしたい。それにあのバックドラフトの消防士たちがカッコ良かったですからね」。

「消防士として未熟だった弟を、消火活動で殉職する兄が最後に認めるシーンは、何ともいえないですね」。

■口を突いて出た「…み、、」

 一浪後、大学に進む二階堂だったが、当初どこのクラブにも参加しなかった。「入学してから学校と家との往復が続くようになって、だんだんつまんなくなってきて、“もったいないな”という思いが強くなってきた」。ライフセービングは、ちょうど他大でライフセービングをしている友人から勧められていた。大学内でも友人に誘われたこともあり、ライフセービング部の門を叩いた。「実はアメフトに入ろうとも思ってたんですよ、兄がやっていて。映画でもそうなんですけど、影響されやすいんですよ、僕」。

 浜を決める際、三浦かもう一つの浜か迷ったという。「三浦のことは国士舘のクラブで最初に仲良くなったマッチョリ(3年目・山本巧也)さんから話を聞いてたんですけど…僕、同期で最後に決めたんですよ」。決定には、ちょっとしたエピソードがある。パトロールシーズン直前のミーティング、上級生の「二階堂、お前どこなんだ?」 まだ決めかねていた二階堂は「…み、、。」と口を突いて出た。もう引き下がれない。三浦を選んだ。

「自分の中で技術を確立させることで、今度入ってくる1年目が付いて来ると思う」

■落ちた時、先輩全員の顔が浮かんだ

 三浦の夏はパトロールはもとより、そのための設営準備、細細とした仕事も多いだろう。しかし二階堂は苦にならなかったという。「そのころ家庭の状況が良くなくて、三浦にいたほうが居心地が良かった」。

 では、夏に最も辛かったことをたずねると、8月上旬チューブテスト(※)に落ちた時のことを挙げた。「落ちた時、それまで1ヶ月間教えてくれた2・3年目全員の顔が浮かんだ。申し訳なかった」と振りかえる。だからこそ、その数日後、合格した時は格別だった。その日チューブテストは6時からの朝練で行われたが、合格した瞬間、5時から行った“朝朝練”に付き合ってくれた先輩・当時2年目の村田公憲と喜びを分かち合った。「もうあの時は朝練・夕練ともに足がつって…キミさんが一緒に泣いてくれて、抱き合って。それを見た川合さんが『汚ねえボウズが抱き合って』って言ってましたっけ」。

 ひと夏を経験して、「経験するのとしないじゃ違いますね」と振りかえる。無事故で終えた最終日、8月31日、二階堂は泣かない自信はあったという。しかし「(午後)5時前に一列に並ぶじゃないですか。みんなで波打ち際に並んだ時、一気に溢れましたね」。泣かない自信はもろくも崩れ、そのかわりに言葉にならない感涙が押し寄せた。

 今年の8月31日も泣きたいだろう。二階堂は「今年も無事故で終わりたい。あとは自分がどれだけやれるか」とシンプルに語るが、「夏に向けてっていうよりも自分の中で技術を確立することで、今度入ってくる1年目が付いて来ると思う」。2年目としての自覚も十分だ。写真の通りチューブを持つ姿も板についてきた二階堂。今度は教えることで、新しい後輩にチューブを持たせる番だ。

※チューブテスト 合格すれば、チューブを持って救助に向かうことができる。テスト内容は年によって変わるが例年チューブ・ボード・素手でのレスキュー・CPRが一般的。また、ガード活動に対する姿勢も加味される。早ければ10日程度で、多くは8月31日までに合格している。2年目に持ち越される者もいる。

●初練習(1)「胸を張って浜に立て」
●初練習(3)「2年目」。その2
●「夏に向けて」メーンページ