3月9日始まった2003年の海練習(=海練)。この練習で目を引いたのは二階堂岳史、石川瑞季という両2年目の動きだった。昨夏、初のガードを経験し2年目の夏を迎える2人。彼らがどういう経緯でライフセービング、そして三浦を選んだのか、またどんな思いで携わっているのかを、それぞれ聞いてみた。

■「限界以上に追い込んでしまう」

 練習中、川合監視長から最も指示を受けたのが石川瑞季だった。シミュレーションミーティングでは前述「初練習1」の通り。CPR(心肺蘇生法)練習でも「まだチューブテスト(前頁※参照)は受けていないけど、ベーシックなことだけでなく、どんどんいろんなことを覚えていって欲しい」と厚い期待を寄せられている。

川合監視長(右端)からアドバイスを受ける石川(左から2人目)

 石川はまだチューブテストを受けていない。メンバーの多くは1年目の8月31日までに合格する中、まだテストを受ける基準まで到達できなかったのだ。「あの頃はもういっぱいいっぱいでした。(チューブを)取れなかったことは確かに悔いが残る」と振りかえるが、「取るためにやってきたこと自体は後悔していない」とキッパリ断言する。

 それだけに、夏に向けてストイックになってしまうこともある。川合に「ミズキは限界以上に追い込み過ぎることがある。無理してしまうのが心配だ」と言わしめるほどだ。冬場、プールでの自主練習で泳ぎすぎて救助されてしまった。「大会でもないどうでもいいところで頑張り過ぎてしまうんですよ」と本人は謙遜するが、夏への意気込みは並ではない。

■スポーツ経験なし

 法政大学2年でライフセービングを始めるまで、石川は特にこれといったスポーツ経験がなかった。多くの学生ライフセーバーが高校時代に運動部経験を持つ中、異例とも言える。そんな石川だが、スポーツ系のクラブ活動には特に抵抗はなかった。「海か空に行きたかった」という選択肢からライフセービングを選んだ。法政のクラブには、三浦に所属するメンバーが6名(02年度)と多かったことと、「泳げなかったし、波が小さかったんで(笑)」という理由で三浦を選んだ。

 波が小さい三浦だが、石川にとって辛いものには変わりなかった。なにぶん泳げないし、走れない。パトロール上でも覚えなければならないことの連続で、「毎日夢に見たぐらい大変だった」。泣きすぎるくらい泣いたという。「練習中に飲み込んだ海水ぐらいは泣きました」。

 しかもライフセービングを家族に反対されている。法学部に籍を置き、司法試験の勉強も続けていることもあり「本業を疎かになってはいけないと言われますし、それに『お前が助けられる方なんじゃないの』って言われてるんですよ」。

■「やっぱ、人じゃないですか」

 しかし1度もやめようと思ったことはなかった。「三浦の活動ひとつひとつが人の役に立てる事だし…あと思うんですけど、やっぱ人じゃないですか?」三浦に魅せられた理由の一つに「人」を挙げる。 「私、言いたいこと言う時ほど言葉足らずで、そうでない時ほど言葉が多くなるんですよ。でも、そんな自分を三浦の人たちは理解しようとしてくれるんです」。厳しいが、懐が深い…そんな“人間くさい”三浦に、石川は惹かれている。

三浦の魅力は―「やっぱ、人じゃないですか?」

 弁護士を目指す石川にライフセービングとの共通点を聞いてみた。「どちらとも、人の役に立てるものですから」。答えはシンプルだった。それまで教員志望だったが、入学後に知り合った外国人に「日本は住みにくい」と言われたことが弁護士を目指す発端だった。地元の後輩が裁判に巻き込まれていることもあり、母親が保護司という家庭環境もあった。「弁護士になったら、困っている人の力になれる」という気持ちが湧いた。今では法職課程に進んでいる。ライフセービングのトレーニングは、勉強の合間を縫って、一人で泳ぎ、走っている。

■心に残る2つの言葉

 2年目の夏は、チューブを取るだけでなく、今度は教える側にもなる。教える上で、心に残っている言葉が2つあるという。昨年度副監視長・阿部広幸の残した「どこでやるかも重要だが、誰とやるかがとても重要だ」。その“誰”に、石川がなっていく番だ。

 もう一つ、OBで00年度監視長・竹村和也の「できないからその子がダメだと思うんじゃなくて、その子ができた時に、『教えたことが伝わった』と思える自分をイメージすればいい」という言葉。思い通りに後輩が育たない時、この言葉が石川を助けてくれるに違いない。
 
 “文武両道”を目指す石川にとって、三浦での活動は、かけがえのない財産となるはずだ。かつて白川さん(白川誠一氏)が筆者にこう語ってくれた。「三浦には、机の上では学べないことが山ほどあるから」。

●初練習(1)「胸を張って浜に立て」
●初練習(2)「2年目」。
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